1939年、北海道滝川市に生まれる。 和歌山藩出身の屯田兵で、北海道帝国大学(現北海道大学)の農科に合格するほど努力家であった父のもとに生まれる。 滝川高等学校卒業後は、自身も、有名な恵迪寮に代表される「自由」「自治」の伝統を持つ北海道大学に憧れ、 同大学の文類に進学。 一度は選考に落ちながらも、苦労して憧れの恵迪寮に入寮。 勉強家の先輩寮生に太刀打ちできず、カルチャーショックを受ける。 1962年、「自由に仕事ができる魅力的な新聞社」と聞いていた毎日新聞社に入社する。 人事部配属の後、経済部へ。 34年間の経済記者人生を激動の日本経済とともに過ごす。 そしてこの時期に経済記者をスタートさせたことで「視点が常に世界とともにある」 という経済記者としての常識をはじめから身に付けることが出来て良かったと振り返る。 経済部では主として財政、金融を担当し、マクロ経済の取材を担う。 最初に経済企画庁を担当、その他に運輸省担当、大蔵省キャップ、日銀キャップを務める。 日銀キャップ時代の1979年には次期総裁人事を巡る取材合戦を指揮。 1980年にはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスへ一年間留学する。 帰国後はデスクの仕事を経て、1986年から『週刊エコノミスト』の編集長を務める。 1990年に突然解任され、編集委員となり、一年間に150人をインタビューして「WHY」というコラムを執筆。 1991年に『毎日新聞』の論説委員となり、16年間務める。 1993年、54歳の時にがんで大手術を受ける。「人生の最大の挫折であり転機でした」と語る。 90年代初めから始めた経済コラム「酸いも辛いも」は本にまとめられ、2001年に出版された。 また玉置氏は継続してサミットの取材も行ってきた 。2002年には『毎日新聞』論説室顧問、2007年には本社特別顧問となる。 インタビュワー主担当:西田寛、副担当:落合修平